初めまして、当HPの管理を担当しております。今後ともよろしくお願い申し上げます。私は現在アトリエ・ゆうのスタッフでもあり、NPO法人ゆうの樹のスタッフとして日々を過ごしております。
(※NPO法人ゆうの樹はアトリエ・ゆうから派生した団体です)。
アトリエ・ゆうは主に不登校の子のための「居場所(フリースペース)」として設立されました。そして、この「居場所」という言葉が最近、“不登校と関連ある言葉”として世間に浸透してきたのではないかと感じております。それでは何故、不登校と居場所が関連あるのか、について不登校という名称の歴史・変遷と合わせてお話ししていきます。
○「学校嫌い」→「登校拒否」→「不登校」
不登校を英語では「school refusal」と書きます。そのため、一昔前まで、学校に行かない子を表す言葉としてよく使用されていた「登校拒否」という言葉は、その英語を直訳したものであったと言えます。そして、登校拒否の前は「学校嫌い」という言葉がよく使用されていたそうです。しかし、この「嫌いと拒否」という言葉には、本人が意図的に学校を休んでいる、悪く言うと“怠けている”という意味合いが多分に含まれていたと考えられます。そのため、保護者や教育者は「何としても学校に戻そう!」と今よりも躍起になっていたようです。
しかし、時が経つにつれ「学校に行かない」のではなく「学校に行くことができない」、いうなれば「can’t go to school(=登校不可能)」の子がかなりいる、という事実が多くの人に浸透してきました。その結果、「不登校」という言葉で表現を統一する、という動きが1990年代から出てきたのです。
もっとも、「登校拒否」という言葉を現在でも使うのは間違いではありませんし、不登校の原因には意図的なものなど様々な理由が存在しているのも事実です。
○「居場所とは」
とは言っても、不登校を経験していない方々に「学校に行くことができない」という心境を理解して頂くのは難しいと思います。その理由には「学校に行くことについて苦も疑問も感じない」という考えがあるから、いうなればその方々にとって「学校=居場所の1つ」になっているからではないでしょうか。
居場所とは「特に意識せず、また過剰なストレスにさらされることなく、安心して心身を育める場所」と言えるでしょう。そして、人によって居場所が異なることは不思議なことではなく、また「人によっては居場所ではない場所になる」と捉えて頂きたいのです。
「居場所ではない場所」とは端的に言って「傷つく場所」です。そこに行っても「得られるものは何も無い」、「得られたとしても心身へのダメージのみ」という心境・状況に置かれていると言えるでしょう。そして、不登校になった子にとっては、「学校(全体)が居場所ではなくなった状態」なのです。
居場所という概念を理解して頂けると、「“保健室登校”という形式でなら登校できる子」の心境も考えることができると思います。つまり、保健室に行けるのはその子にとって「所属するクラスは居場所ではないが、保健室は居場所である」からなのです。そのため、「保健室という学校の一部に来ているのだから、クラスに戻れる日も近いだろう」と短絡的に考えるのは避けた方がいいと考えています。
実は、私自身も中学2年生の9月1日より不登校、正に「学校に行けない、精神的に動けない状態」になりました。その後、学業面においては多くの同学年よりも遠回りして生きてきました。ですが、そんな私にも(アトリエ・ゆうとは別ですが)居場所があったため生き永らえ、今ここにいます。そして、不登校になったからこそ得られたものがあると思えるようになりました。
私自身、不安や希死という感情は最大だった時より大分薄らいだとしても、ずっと抱えています。ですが、そういう気持ちを抱え続けても「居場所が有る」ということが、抑止力に成り得ます。だから、居場所は必要なんです。居場所が無ければストレートに言って傷ついている子どもを最悪の事態に追い込んでしまう可能性が高まります。そのため、大人はその居場所を物理的にしろ、心理的にも確保していく必要があります。
不登校になった子が一生学校に戻るのを否定しているわけではありません。しかし、学校に戻そうとするのであれば、『その子にとって学校が再び“居場所”になるまで、状況を回復してあげないといけない』でしょう。
「生きていれば縁はいつか繋がります」。アトリエ・ゆうも、そのいつかが来るまでの居場所になっていけたら、と考えています。
きば とものり
P.S:“きば とものり”というのは、私が創作活動時に使用している、ほぼ本名のペンネーム(P.N)です。
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