2018年 1月号 「2018年戌年 今年も平和を願って」
「アトリエ・ゆう」と「ゆうの樹」を 何卒よろしくお願いします。
今年の新年、初日の出を拝める穏やかな天候に恵まれました。
遅いご挨拶ですが、皆様、新年をいかがお過ごしでしたでしょうか?
私は恒例のことながら日の出前に出かけ、近くの氏神様にお参りを
して日の出を待ちました。 今年は戌年。我が家も3年前のお正月は
3代目のラブ(茶色)と一緒に過ごしました。どれも雑種で2代目の
バクは真っ白、でも雪にはかないませんでした。初代のクロはお隣
さんが引っ越しをされるのでそのまま預かりました。そんなことを
思い出し、3犬3様ながら、縁あって我が家に来てくれ共に過ごした
時間を思う時、今も胸が熱くなります。「もう飼えないね」と言いな
がら・・・・・。
昨年、11月23日ソニックシティで「アトリエ・ゆう、30年を祝うつどい」
を行いました。 11月28日発行のニュースに報告や皆さんからの感想
が掲載されましたが、私自身が書かなかったことをお詫びしながら
・・・ご報告させていただきます。 つどいの始めにさいたま市在住の
教育研究者の大田 堯先生(99歳)から、「一見、豊かに見えるこの
社会で、不登校や居場所もえられない子どもたちに人知れずご尽力
いただく皆様に、深く敬意を・・・・・」。また同じ時期に所沢で始められた
バクの会の滝谷美佐保さんからは「この生きにくい世の中にあって、
アトリエ・ゆうの存在はいっそう大切なものとなっている・・・・・。」 と
のお二方の温かくて心に届くメッセージを代読させていただきなが
ら、今までのことが頭をよぎり、最初の居場所の萩原さん宅が思い
出されました。と同時にこれからのアトリエ・ゆうの活動をよろしく、
とのメッセージでもあるのではないかと思うと、気の引き締まる思い
にもなりました。 その後場所を大宮YMCA、豊田ビル、そして現在の
新井ビルと移転しながらの30 年でした。今まで本当に多くの方々
からのご協力とご理解をいただき、今日まで続 けて来られたこと
をスタッフ一同感謝申し上げます。当日は慣れない会場で準備の時間
も少なく、お集まりの皆さんとじっくりお話もできず、失礼なことが
多々あったことと思います。にも拘わらず、暖かいまなざしの中、
まぶしいくらいに大きくなったあの頃の子どもたちが会場に集まると、
一気に雰囲気が変わりましたね。30年の重みを感じました。 この30
年、紆余曲折、試行錯誤の連続のなか、何か問題があれば話し合い
ながら、そして奥地圭子さんの言われた「子どもから学びながら」を
原点に無理をしないで続けてきたように思います。 その後、代表を
長く続けてきた島田由美子から挨拶。来賓のひがメンタルクリニック
の比嘉千賀さんと、市民派で元市議・県議会議員の岡まちこさんから
祝辞をいただきました。 次に、今回お願いしたゲストの山下英三郎
さんは大変な諸事情の中、長野県諏訪からお越しいただきました。
山下さんは日本ではまだ不登校の子どもへの考えが無かったので
米、ユタ大学(1986年ソーシャルワーク修士課程卒業)に学ばれたの
です。そして所沢で日本初のスクールソーシャルワーカーとして長年
子ども達に寄り添い,伴奏者として関わって来られました。滝谷さん
たちとバクの会の立ち上げもされました。 山下さんのあの風貌と
威圧感のない存在、どんなことがあっても子どもを信じる揺るぎ
ない信念とが、子どもたちとの関係を創りあげてきたのでしょう。
言葉と実践に格差が無いのです。それが子どもたちにとって安心の
場なのですね。何分の一かでも近づきたいものです。 そしていよ
いよ3人の体験談を聞く時間に。 檜皮さんはゆうの原点で、「明日
にでも行きたい」と言う 3人の女の子がいて、その中のお一人です。
今は3人の お子さんの母親で、保母さんをされています。当日は
檜皮さんのお母さんも出席されて、当時のことを話してくださいま
した。 (昨年12月のゆうニュースに掲載)
和嶋さんは、理由ははっきりしないが学校に行きたくない、という
ことでゆうに来てその内、プレイルームのボランティアをして、今は
ゆうの樹の職員として、喫茶店を任されています。(昨年11月のゆう
ニュースに掲載)
都築さんはお話を聞きながら小学生低学年の頃、お母さんとゆう
に来た日のことを思い出しました。自衛隊での訓練を終えて今は民
間の仕事をしているとのことです。 和嶋さんも都築さんも埼玉大学
で教師を目指す学生に、不登校の体験を話してくれました。 3人の
体験を聞きながら、本当にまだ小さかった頃に、学校は行くものだと
いう考えが多かった頃に、みんなが学校に行くのに自分は行けない、
ということをどんな気持ちで過ごしていたかと思うと、よくぞ!よく
ぞ!と思わずにはいられません。 体験談の後、会場の数人の方から
感想などいただきました。ご参会の皆様お一人お一人に発言していた
だきかったのですが、それも出来ないで申し訳ございませんでした。
いよいよ一部の締めくくりは「手のひらに太陽を」(作詞:やなせた
かし・作曲:いずみたく)を全員合唱して終了し、二部の交流会へとアト
リエ・ゆうの事務所に移動いたしました。 お陰様でつどいも無事終え
ることができ、そして新しい一歩に向けて進む元気を頂き忘れられな
い一日になりました。また、当日は参加できないと、メッセージを頂い
た方々もあり、その言葉に本当に多くの方々の見えない力を感じた
一日でもありました。 30年の月日は状況を変えました。アトリエ・ゆう
の出発は登校拒否の子ども達と親の居場所であったが、現在は学校
との関係を終えた年齢の人たちが集う居場所になっています。時々、
不登校の子どもの問い合わせはありますが、仲間がいないと続きま
せんね。 現在アトリエ・ゆうでは親の会、プレイルーム、学習会、コーヒ
ーサロン、ゆうの樹との連携、創作活動部、電話相談などをしています。
プレイルームでは仕事やアルバイトの帰りに来て話す、年4回のリサ
イクルマーケットに参加、演劇鑑賞会や国際交流の会場でのコーヒー
販売など、メンバーの体調にもよりますが今できることを、そして要望
に添いながらしています。また顔は見えないけれど、遠くから電話で話
を聞いている人もあります。 そんな状況のなか、人数は少ないけれど、
活動を継続し、新しい人が一歩を踏み出して来られる場所として大事
だと思う気持ちは変わりません。そのためには事務所の維持、主に家賃
がかかります。今市民活動をしているグループが合同で借りています
が、さらに別のことを考えていかないと継続できない、という危機感
を感じている現状があります。 振り返って、アトリエ・ゆうの原点である
「不登校」の 現状ですが、昨年の「夏の全国合宿」や「不登校新聞」から
情報を頂いています。2016年12月に成立した「教育機会確保法」は
大きく歴史を変えたことと言えます。この法律の中に休養の必要性、
学校外の学びの重要性、などの文面も盛り込まれているとのことです。
しかし国の調査によると昨年は不登校が13万人を超えたとのこと。
児童・生徒の 減少の中にあって増加したこと、若者の自殺者が増えた
ことも大きな問題です。不登校新聞に奥地圭子さんが「不登校の歴史」
をシリーズで書かれています。そして子どもを中心にしての活動が50年
かかりやっと国の動きも変わってきた、とのこと心して読みました。(1966
年国が不登校の調査を始める) 今年も大きな課題を抱えながらも皆さん
と一緒に歩いていきたいと思います。 どうぞ変わらないお付き合いを
よろしくお願いします。
(本居麗子)
⇐back‐2017年11月号へ‐ 2018年5月-NEXT⇒